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4月2018

[こころのライフワーク]Vol.07
死にたくない、極楽浄土へゆきたくない

死にたくない、極楽浄土へゆきたくない


ご好評いただいている天が瀬メモリアル公園のコラム『天が瀬便り』。今シリーズは、光明寺住職・大洞龍明著『こころのライフワーク』(主婦と生活社)から連載して参ります。皆さまの人生がより豊かになりますよう、お手伝いできましたら幸いです。


浄土真宗における悟りとは?

前回は、暴力団の準構成員だった男性の出家譚が、「発心即菩提」(ほっしんそくぼだい)という言葉を彷彿とさせる、というお話をしました。「発心即菩提」とは、「悟りを求める心が起こったなら、それは悟りを開いたのも同然である」というような意味です。そこで今回は、悟りについて考えてみたいと思います。

菩提という言葉を聞いたことがあるでしょうか。菩提(ぼだい)、とは悟りの別の表現です。浄土門ではお布施(喜捨、寄進)のことを菩提と言い習わしています。御喜捨をいただくと、「菩提をありがとうございます」と挨拶するのです。
例えば、本堂の修理などでお金を渡すことがなぜ「菩提=悟り」なのか? そうした疑問がおきないでしようか。私たち僧侶は何気なく使っている言葉の用法ですが、実は、ここに浄土門特有の「菩提=悟り」の考えがあらわれているのです。

浄土門は「里」の仏教、つまり在家仏教です。浄土真宗はその最たるものでしよう。在家者、つまり世俗のわれわれは、仏道に憧れを抱いても、仕事や家業、さらには温い家庭と別れ、「山」に籠もり悟りを開くために出家することはなかなかできません。また、いくら悟りを開こうと修行し学問をしても、大悟にいたることはおよびのつかないことです。
「知恵第一」と賞嘆された法然上人ですら、修行・学問によって大悟を得ることをあきらめられて、浄土門に帰依されたのですから。凡俗の私たちにはとてもかなうことではありません。

信心を得ても煩悩は消えない

出家はできない。また、いくら悟りを開こうと修行し学問をしても、大悟にいたることはできない。浄土真宗には、こうした断念のスタート台に立って、阿弥陀(あみだ)さまの本願をいただき、「至心信楽」(ししんしんぎょう)し、つまりその本願のお心をそのまま信じ、ただ念仏することで、お浄土に摂取、救い取っていただく ―― つまり、この世での菩提、悟りではなく、お浄土へいって、そこで悟りをいただくという考えがあります。
ですから浄土真宗では、信心を得たあとの煩悩を否定しません。事実、信心を得ても、煩悩が消えるわけではありません。煩悩を否定しないどころか、親鸞聖人は、もっと過激なことをおっしゃっています。

歎異抄(たんにしょう)にこういう一節があります。

久遠劫(くおんごう)よりいままで、流転(るてん)する苦悩の旧里(きゅうり)はすてがたく、いまだう(生)まれざる 安養の浄土はこい(恋)しからずそうろう

―― 何度も何度も輪廻転生(りんねてんしょう)で生まれかわって味わう苦悩の多いこの娑婆(しゃば)=人里を捨てがたく思い、まだそこに生まれていないけれど極楽(安養)浄土は少しも恋しく思われません ――

どこかひらき直ったような印象を受けませんか。

極楽よりも、この世がいい

地獄と極楽と娑婆(この世)とが三つあるなかで、あなたはどれを選ぶかと訊かれたなら、まず多くの方は、この世と答えるでしょう。
あの世を極楽浄土や安楽浄土、安養浄土などといいかえても、そこへはいきたくない。地獄よりはましかなあ、と現代人はいうかも知れないけれど、要するに聖人は「死にたくない、極楽浄土へゆきたくない」とおっしゃっているわけです。歎異抄や親鸞聖人のこうした率直さ、西洋思想流にいえば人間主義(ユマニテ)が際立っているところが、歎異抄や親鸞聖人が支持される理由の一端かもしれません。

歎異抄と同時代に成立した物語に平家物語があります。歎異抄と平家物語の冒頭の部分を比較すると、その隔絶した違いがわかります。

祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響あり、沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらわす。驕れる者久しからず、ただ春の夜の夢の如し。猛き人もつひには滅びぬ。ひとへに風の前の塵に同じ。

ぜひ味わって比較してみて下さい。

次回は、悟りと煩悩の関係について考えてみましょう。


jyushoku【著者略歴】
大洞龍明(おおほら たつあき)
1937年岐阜市に生まれる。名古屋大学大学院・大谷大学大学院博士課程で仏教を学ぶ。真宗大谷派宗務所企画室長、本願寺維持財団企画事業部長などを歴任。現在、光明寺住職、東京国際仏教塾塾長。著書に『親鸞思想の研究』(私家版)、『人生のゆくへ』(東京国際仏教塾刊)、『生と死を超える道』(三交出版)など。共著に『明治造営百年東本願寺』(本願寺維持財団刊)、『仏教は、心の革命』(ごま書房刊)がある。


[こころのライフワーク]Vol.06
人間は二つの現実を生きている

人間は二つの現実を生きている


ご好評いただいている天が瀬メモリアル公園のコラム『天が瀬便り』。今シリーズは、光明寺住職・大洞龍明著『こころのライフワーク』(主婦と生活社)から連載して参ります。皆さまの人生がより豊かになりますよう、お手伝いできましたら幸いです。


暴力団の準構成員から仏道へ

前回は、私たち人間は二つの現実を生きているのではないか、というお話をしました。二つの現実とは、思惑という「現実」と、正真正銘の「現実」です。今回も引き続き、二つの現実を生きるということについて、考えてみたいと思います。

10年以上前になるでしょうか、こんな話を聞きました。

その方は、すでに六十歳を越えているのですが、教育者の家庭に育ちながら、やがて非行に走るようになり、高校時代にはすでに暴力団の準構成員として、盛り場を肩をいからせて歩いていたといいます。

ある日、まだ未成年者だったころ、組の幹部からピストルを手渡され、一人の人物を消すよう命じられます。首を横に振ることはできません。いわれた通り、ピストルを背広にしのばせて夜の街に出てゆきました。幸いにもというのでしょう、その場所には当の人物がおらず、結局、未遂に終わりました。

彼はその後、不動産関係の仕事に携わり、請われて上場企業の営業部門の幹部のポストにつきました。不動産業にすっかり馴染んだ彼は、まさに、飲む・打つ・買うの生活に明けくれます。営業の腕もよかったのでしょう。給科袋を縦に立てて倒れないほどの高給を手にしていました。

そんな彼がある日、所用で広島市へ向かい、新幹線の窓外を何となく眺めていました。列車は山間地を突っ走っていました。窓に流れてゆく水をたたえた田んぼを眺めていると、土手で草を刈っている人の姿が目に入りました。お百姓さんでしょう。その人の何がどうということはありませんでした。けれど、彼は何事かに不意に胸を衝かれます。そして目頭が熱くなりました。彼の胸の底で何かわけのわからないことが起きたのです。

「出家しよう」

そのつぶやきは、広島駅に列車が着いたときには決意になっていたといわれます。

思惑の「現実」から、正真正銘の「現実」に心を向ける

この方のエピソードもまた、人間は二つの現実を持っている、ということに通じると思います。前回ご紹介した、禅宗のお師家(しけ)さんに仕事の相談を持ちかけたビジネスマンは、ありもしない「思惑」といういま一つの「現実」を生きておられました。暴力団の元準構成員だったというこの方も、無明(迷い=煩悩)という、まごうことない「現実」とは別の現実を生きてこられたのです。しかし、お百姓さんの姿を見たことで、まごうことない「現実」に目を向けるようになりました。

このように、一つの現実からいま一つの現実に心を向けることを回心(えしん)といいます。もちろん、女・酒・博打からビジネスへと現実を変えることを回心とはいいません。浄土真宗では回心懺悔(ざんげ)ですが、要するに、ここに紹介した暴力団の準構成員だった方は、絶対価値を発見されたのです。その方は、しばらく曹洞宗の寺院で坐禅を組まれてから得度を受けられ、仕事を続けながら参禅に打ち込む毎日だと聞いております。

悟りを求めたとき、悟りは開かれる

『撰集抄』(せんじゅうしょう)という書物があります。西行の口述になぞらえられて書かれたこの本には、数々の出家譚が記載されています。今回ご紹介した男性の出家譚を聞くと、『撰集抄』で取り上げられている出家譚がにわかに現実味を帯びて私に迫ってきます。

また、同時に、「発心即菩提」(ほっしんそくぼだい)という言葉が頭に浮かぶのです。これは、「悟りを求める心が起こったなら、それは悟りを開いたのも同然である」というような意味で、今回ご紹介した方のありようは、まさに、「発心即菩提」の姿であるように思います。

では、果たして、「悟り」とは何でしょうか。次回は、仏教を考えるうえで避けては通れない、この「悟り」について考えてみましょう。


jyushoku【著者略歴】
大洞龍明(おおほら たつあき)
1937年岐阜市に生まれる。名古屋大学大学院・大谷大学大学院博士課程で仏教を学ぶ。真宗大谷派宗務所企画室長、本願寺維持財団企画事業部長などを歴任。現在、光明寺住職、東京国際仏教塾塾長。著書に『親鸞思想の研究』(私家版)、『人生のゆくへ』(東京国際仏教塾刊)、『生と死を超える道』(三交出版)など。共著に『明治造営百年東本願寺』(本願寺維持財団刊)、『仏教は、心の革命』(ごま書房刊)がある。


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